NHK第二放送のラジオ気象通報を聞いたことはありますか。私は中学校の部活で科学部に入っていました。午前8時に百葉箱で気温、湿度を計り、雲量、風速などを観測することから始まり、1年間は、夏休みも冬休みも一日も休まず年間の観測データを制作したことを覚えています。そしてラジオを受信し、天気図を描くように。石垣島から始まるのですが、気を許して聞いているとアッという間に次々と進んでしまいます。風の方向と風力で旗を描くように地図に転記していきます。当時の部活は、文科系も運動系も上級生から手ほどきを受けながら自主的に活動していました。科学部の先輩も結構、厳しかったですね。なお、当時は気圧の表記はヘクトパスカルではなくミリバールでした。
夫婦共働きで赤ちゃんを授かり、二人で話し合い、出産する時の呼吸の使い方ですが、ラマーズ法で出産。助産師の助けをいただき自然分娩で迎えることが出来ました。いわゆる、夫の立ち合いです。当時は、まで、男性の育児・出産に関わる休暇・休職制度などありませんでした。でも、二人で慈しみながら子どもを授かった喜びは、どうしても、連れ合いと一緒に出産という人生の一大事を乗り越えたいという想いで一杯でした。職場で予定日を伝えてはいましたが、予定通り、生まれるわけではありません。しかし、事前に有給休暇を取ることは宣言。やはり、予定より早くその日は訪れました。「フーフー」との息遣いの中、子どもと出会った瞬間は今でも忘れられません。私が取り上げたのですから。
私は、夫婦共働きで、育児・子育てをしながら、通勤していましたが、依然として女性の育児休業制度はなく、男性の育児に関する時短制度もない時代でした。私は、勝手に遅刻する方法で育児時短をとる、という方法で仕事をしていましたが、このことが新聞やテレビで取材され、「元祖育児パパ」の呼称をいただくことに。
そのような時、多摩第二小学校の保護者の皆さんに推されPTA会長に。当時のPTAは女性だけの社会でしたし、大変なこともありましたが、私はメンバーにも恵まれ、楽しい日々でした。ある時、出会った八王子の農家の方にお頼みし、田植えから、稲刈りまで、PTA行事として取り組むことに。子どもたちや特にお父さんたちが大喜び。稲刈りの後のビールが美味しかったこと。
さらに多摩川でのサケの放流にも取り組みました。当時、多摩市にサケの放流に関わる市民団体があり、12月にサケの卵をいただき、各教室に水槽を設置。子どもたちがイクラから孵化するサケの稚魚を育て3月に多摩川に放流するというイベントでした。
いずれのイベントも3年間実施しましたが、子どもたちの歓声で大盛り上がり。これらの経験が、その後、第二小学校に「おやじの会」が誕生する原型になったかなと思っています。